海苔生産者インタビュー 2
田中志昌さん(50歳 3代目海苔師)
種から加工まで家族だけで行う孤高の海苔師
矢沢永吉を愛し、SNSでは海苔作りのほか、バイクなどの趣味も発信する田中志昌さん。多くの生産者が何軒かで分業をし、協業体制をとっていますが、田中さんはご本人と奥さん、ご両親だけで種作りから加工で行っています。肉体的につらいことも多い中で、環境問題にも直面し、誰よりも厳しい視線で海苔の未来を見据えていました。
個人で海苔を作る喜びと苦労とは?
――ほとんどの海苔師が協業する中、養殖、採取、加工までひとりでやるのはなぜですか?
田中さん 自分の仕事を全部自分でコントロールできるっていうのが第一。自分だけなら、夜中に「この風なら朝方の潮で行こうかな」などと仕事の調整もできるわけです。協業だと当番みたいになっちゃうからやらなくてもいいことをやったり、やらなきゃいけないことを見逃したりする可能性があるでしょ。
あとは単純に、家族だけでやったほうが稼げる(笑)。今はコロナだけれど、一昨年くらいまでは1シーズンの片付けまで全部終わった春先に、みんなで海外旅行に行くのが習慣でした。普通のサラリーマンよりは少し贅沢してたね。海苔をやってるとクリスマスもお正月もないから、その分の孝行をします。
ほかの家族とやっていたら仲違いしたときに金銭も絡むから面倒なことになるでしょう。それは避けたい。3~4軒でやったら、なにかしら合わない部分がかるから。今のほうが気楽ですよ。まだ親が健在だし、嫁さんも手伝ってくれてるからできることです。
――では、デメリットはなんですか?
田中さん そりゃあ、作業がキツいことですよ。全部自分で見られるのはいいけれど、動ける人間もいないから、嫁さんを連れてくけれどまだ足りない。
9月にスタートする海苔の網を張る支柱を立てる「竹立て」は、10㎏ほどある竿を小船に乗って人力で1本1本海に打ち込んでいくのよ、2500本くらいかな?しんどかよ。
冬に海苔を摘みながら、支柱を上げ下げしたりする作業なんて、スポーツするくらいキツかよ。3人いればいいけど、今はふたりでやるしかないね。
結婚するときには、漁には連れて行かないってことだったんだけど、今は手伝ってもらってる。漁も行って、料理もして洗濯もしてくれて感謝しています。
海から戻った後の海苔乾燥などの作業はまだ親が元気だから手伝ってくれるから、それもありがたいけど、あと何年手伝ってもらえるかわからないから考えないとねぇ。
高い評価を受けることがやりがいに
――田中さんにとって、海苔作りの面白さ、喜びはどこにあるんでしょうか。
田中さん 16歳から初めて50歳になったけれど、まだ「海苔師なんてならなければよかった」って思いよるけんね(笑)。でも、自分にはこれしかないから頑張っているけど。
ただ、「味推(あじすい)*1」や「有明海一番*2」をもらったときは嬉しいですよ。やっぱり評価されるのは嬉しいもんです。20年ほど前、「有明海一番」をとった時はもう全部が一等になって、びっくりしましたね。まだ「味推」がなかったころです。
――評価されること自体はどう考えますか?
田中さん いいと思うよ。ただ、評価は毎年のように変わるから。とにかく真っ黒で顔が映るくらいツルピカがいいとされたかと思うと、今度はがっつりした厚い海苔、それじゃあ食感が悪いから少しくらい穴が開いても薄くしろって具合です。「味推」は味の検査もあって評価されるからいいんだけれど、個人的には「見た目じゃなか!」と思いつつも、そのときどきの基準に合わせて、さらにその上でおいしさを目指さんばね。
今、佐賀県では干出の水位が県によって決められて、誰でも安定して量を取れるように規定ができつつあるんです。おにぎり用の海苔が増えているから、破れにくくて硬い海苔がたくさんとれる状態にしたいというわけでしょう。
でも支柱の上げ下げが海苔師の技術なんで、そこを決められてしまうのは残念。とびきりの味を目指すなら、海苔師に任せてほしいと思います。
激変する自然からの猛威に不安が募る
――ほかには佐賀の海苔を取り巻く現状をどう思いますか?
田中さん 環境の変化は強く感じています。今年も大雨の被害があったように、大切な種付けの時期に大雨が降り、海に栄養が足りなくなるケースが3年続いたんです。今(2021年9月現在)も赤潮が出ていて、プランクトンによってどんどん栄養が奪われてしまう。芽を顕微鏡で見てみると、ちゃんと育っていない個体が多くて、海中の栄養不足によって色落ちしてしまう海苔もあったりする。最初の状態がおかしいと、成長してももう絶対に治りませんからね。
私たちの漁場はまだ筑豊川からの流れがあるので川から栄養の供給があり、潮が動くからいいけれど…。
そういう状況を見ていると、今後どうなっていくのだろう?と思うことがありますね。
――田中さん自身、今年50歳を迎えて、考えるところがありますか?
田中さん もちろんあります。30代では体がキツいなんて思ったことなかった。今は、すぐぎっくり腰になるからベルトを巻いてやってる。私の父は70歳くらいまで現場で働いていたからあと20年か……いやあ、俺は14~15年で終わるかもしれないなぁ。
――息子さんに継いでもらいたいという気持ちはありますか。
田中さん 今、22歳と23歳の息子がいますが、私から継いでほしいとは言いません。さっきもお話ししたように環境の問題もあるし、なんといっても肉体的につらい仕事だから。実際、昨シーズンはとれるかとれないか瀬戸際だったしね。
でも、もし息子から「やりたい」って言われたらそれは嬉しいでしょうね。
――では、個人的に将来やってみたいことは?
田中さん そうだね、今すぐなら「海苔の佃煮」。もう仕事の合間に作ってるんですよ。「漢(おとこ)の佃煮」って名前でね。とれたての海苔で作るから本当に美味しいよ。同業者にも美味しいって言われるから、今はそれもすごく楽しい。みなさんに海苔の美味しさ知ってほしいと思っています。
<まとめ>
ヤンチャな学生時代から一転、父親の跡を継いで16歳で海苔師の道に入ったと武勇伝を聞かせてくれた田中さん。強面ですが明るく、楽しく。海苔作りのどんなにつらいお話もちょっと面白く聞こえてきます。環境問題などには関心が深く、次世代の海苔作りについてシビアに考えているのも確か。海苔師の毎日をSNSで発信してくれているのも、注目です。
<海苔師のお気に入り! 海苔の食べ方>
・自分で作る佃煮。海苔師仲間に味見してもらって「うまか」と言われたい
・くず海苔(結束したときに出る端海苔)をフライパンで煎って醬油をひとたらし。ごはんのおともに
<注>
*1味推(あじすい)は、佐賀有明海漁連の入札会で使用される等級の1つ。
特に味とくちどけを重視したもの
*2有明海一番は、佐賀漁連の入札会で使用される等級の1つ